1 にっく 2023/05/09(火) 19:59:00
《日本のような民主主義国家では、馴染まない言葉である》
立憲民主党の石垣のりこ参院議員(48)に対し、ネット上でこんな声が上がっている。
きっかけは、石垣氏が2日の自身のツイッターにこう投稿したことだ。
《公文書を疎かにすることは民主主義を毀損するのと同じこと。主権者たる人民を蔑ろにする行為に対して、怒って然るべしです》
この「人民」と言う言葉に一部の保守派が反応。8日付の「Smart FLASH」(光文社)が「立憲・石垣のりこ議員『人民』ツイートで炎上~」などと題して記事で取り上げたことから拡散したらしい。SNS上では、《学級会で訳の分からないことを自己主張する委員長》《この人の根底の価値観というか世界観というか思想というか。そんなものを感じさせて恐怖すら感じる》と“袋叩き”状態となっているのだが、この「人民」という言葉を使うことは果たして悪いことなのか。
例えば、米国第16代大統領のエブラハム・リンカーンが1863年11月に行なった、有名なゲティズバーグ演説にはこうある。
「人民の、人民による、人民のための政治」
保守派は石垣発言について、《日本のような民主主義国家では、馴染まない言葉》としているが、リンカーンの言葉は、「民主主義の精神を表現した言葉」として、小学SEIでも知っている名言だろう。
■中曽根、麻生両元首相も国会答弁で「人民」と発言
さらに言えば、故・中曽根康弘元首相は1987年4月28日の参院予算委で、こう答弁している。
「民主政治の基本にある考え方は、人間の尊厳というものが基本にありまして、その上に立って、いわゆる人民による人民のための人民の政治という思想で、現実的には最大多数の最大幸福ということを目標にして政治を行っていく、そういうような形のものが我々が教えられた民主主義であり、そういう方向が正しいと思っております」
ちなみに2009年1月20日の参院予算委でも、麻生太郎首相(82)=当時=が「政府の、私どもにとりましては人民とか財産とかいうのを守るのはいわゆる政府にとって最も重要な仕事の一つ、責任の一つ、私はそう思っております」と発言している。
タカ派と呼ばれた中曽根元首相ですら「人民」という言葉を国会答弁で使っていたわけで、石垣発言の炎上はまさに「放火」の類に等しいだろう。
もっとも、石垣氏本人はツイッターに改めて、《人民、流行らせていきたいです。》と投稿しているから意に介していないようだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b67772882e9e00bdb4e2fcab68e467e860f66a68
この記事に対する反応


わざわざ擁護するために一晩かけて
必死にデータベース検索やネット検索をして記事にまとめて公表するほうが「トンチンカン」だろう。
土俵はネット上ですよ。
もし記者が本当にその歴史や、石垣のり子議員の「人民発言」の経緯、真意を知っているなら、
即座に反論、批判を掲載できただろう。
ネット批判の中身は、「人民発言」に加えて、国会やTwitterで不用意な発言、
的外れな揚げ足取り、粗探し、言いがかりばかりの立憲と石垣のり子議員への批判ですよ。
日本人の信任を得た国会議員としての自覚があるなら、
条文においても日常においても広く扱われている「国民」と言う言葉を、
わざわざ一部の独裁国家で使われている「人民」に置き換えるようなことはしない。
普段から「人民」と言うワードを用いて思考しているから、
ぽろっと言葉が出てしまったのではないでしょうか。
あっち系の議員さんたちは、自分は賢いと思っている割には感情が昂ると、
うっかり本音が出てしまうことが多いように思います。
ただ単語を使ったか使わなかったか、というだけ比較は雑過ぎるだろ。
主権たる人民、という表現に違和感を覚えているんだと思うんだが。
普通、主権を持つのは、国民、と言うだろう。
因みに辞書的解釈では、
一般には、人民が国家との間で法的な関係をもち、国家の支配の対象であるのみならず、
国家の積極的な構成員となるとき市民と称している。
さらに、人民が一体感に目覚め、共通の運命をもっていることを認識する存在、
つまりナショナリズムに目覚めた存在になると、国民と称している。
という事だ。主権たる、の後に来るのは一般的に市民もしくは国民が来ると言っていい。
まぁ、人民でも間違いではないんだろうが、一般的ではない。
というか、国民主権、と言うのだから、普通は人民は使わない。
この方への批判が高まった経緯は高市大臣への捏造質疑などが発端でしょ。
保守色の高い高市大臣を捏造で陥れようとして炎上した人が
共産圏で使われがちな単語を使ったことでより拒絶感を持たれた。
ある種本件は最初の炎上の延焼的なもの。
記者の立場でそのことを知らないはずは無いのにそこには一切触れずにスルー。
あえて一部の情報だけ伏せてやり方が汚い。
だから記事に説得力が生まれないし結論ありき世論誘導にしか見えない。
日本国民を裏切る行為しかしていない立憲民主の議員が使ったから問題になっているわけで、
そこを抜きに語るのはよくないと思うけどな。
リンカーンの言う「人民」はpeopleの訳。
本来「人民」の語は民主主義の主体を示す用語として用いられた。
20世紀前半以降、共産主義運動や共産諸国家では、
国際共産主義の立場から「国民」(nation)よりも「人民」(people)を好んで用い、
そのため本来の語義を離れて「人民」という言葉に、
共産主義のイメージが感じ取られる場合が多くなった。
仮にリンカーンが現代人だったとして今同じ言葉を語ったら、Peopleは「人民」とは訳さない。
リンカーンと石垣とは「人民」という言葉の語義も時代背景も全く異なるのに、
そんなことも理解できないゲンダイ。

この人が批判されるのは、他人に対して無礼な振る舞いや発言、
そもそも、国会での質問などがトンチンカンだからじゃないですかね。
私は支持政党なしだけど、この方の質問や発言のあり方はどうかとと思う。
同じ職場では仕事はしたくないし、取引先やカウンターパートがこんな感じの人だったらやりづらいです。
直接話したこともないので単なるイメージですが議論は噛み合わないと感じています。
国会で、高市大臣に捏造発言をした議員ですね。
立憲の議員だから、中国人民共和国の手下が多いし、
公文書を総務省から極秘に入手していたののだから、たちが悪すぎるす。
それより、小西議員の、偽造公文書行使罪の調査は、未だやらないのか?
国家の構成要素である「公民・国民・nation」に対して、
属性としての国家によらない人々の呼称として「市民・人民・people」というニュアンスで用いられる。
民主主義国家の主権者を指すなら「人民」呼ばわりは不適切だ。
主に共産主義者が超国家的な連帯のために「人民」を多用したせいとも言える変化であるので、
現代で生きている者であれば指摘を受けてもおかしくはない。
まぁパヨクが日頃使い慣れてる語彙が不適切な使い方でウッカリ飛び出したと言うだけだし、
目くじら立てるほどのことではないかもしれんがな。
どうせパヨクは大したことは言えないのだし。
立民のまともな議員たちは「立憲民主党を取り戻す」をスローガンに
早急に石垣やらコニタンやらと分党運動進めた方がよい
そうしないと維新に野党第一党譲ることになるのはわかっているでしょ?
一応、立民にも一部だが国益考えて活動している議員がいるのを知っているのでアドバイスでした
実行するかどうかはあなた達次第
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